立命館    末川   博    名誉総長の言葉

すえかわひろし,立命館大学,法学入門,学長,学校法人立命館,京都市名誉市民,橋本関雪,高野悦子,穀田恵二,平和問題懇話会,平和と民主主義,京大事件,滝川事件,存心館,護憲・平和運動,新憲法,恒久平和と戦争放棄,権利侵害論,時と人を追うて,錦帯橋,吉香公園,立志の碑

未来を信じ、未来に生きる。

ここに青年学徒の生命がある。

その貴い未来と生命を諸君は、自ら汚がしては

ならず、他から奪われてもならない。

これから諸君の進む道は、ジグザクと時には

暗く時には険しいこともあろう。

だが、諸君がいつも心に太陽をもって事望み

燃えながら前進するとき、脚下の大地は揺るぎなく

頭上の星は黎明の近きに輝く。

理想は高く姿勢は低く、学習を終生の業として

一歩づつ前へ前へと進もう。

諸君の若い生命は、二十一世紀の平和な

すばらしい歴史につながる。

諸君の自重と自愛を望むや切である。



         1964年3月20日  平素諸君に語ったことばをつらねて


                                    末川  博


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末川博(すえかわ ひろし)

日本の民法学者 京都帝国大学教授を経て、
1946年〜1969年立命館大学学長・学校法人立命館総長。名誉総長。
1892年(明治25年)11月20日生まれ。1977年(昭和52年)2月16日没。



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伊藤仁斎・伊藤蘭隅(才蔵)の末裔 伊藤忠(いとう ただし)

※伊藤仁斎=江戸時代前期の儒学者。独学で、学問を究め、仁の本質は愛であるとして、号を仁斎と改めた。
諸侯の招きも多くあったが、それらには一切応じず、古義堂という私塾を開き、3,000人を超える門人たちを指導した。

この古義堂は、仁斎が亡くなった後も1905年(明治38年)まで続いた。
自己の感情や欲望などを慎む朱子学の限界を超え、人間のもって生まれた本性を発揮しなければならないと主張した。

赤穂浪士の大石内蔵助良雄は、漢学を伊藤仁斎に学んだと言われる。  

※伊藤蘭隅=仁斎の五男。字は才蔵。
この兄弟は、(「伊藤の五蔵」)と称された。
兄弟のうちで、東涯とともに学問にすぐれ、紀伊藩藩儒となる(紀州藩とも呼ばれる)。
紀伊伊藤家初代。

こうして、伊藤忠は、和歌山の地に生まれることとなった。


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和歌山県西牟婁郡すさみ町出身
大阪府和泉市箕形町在住

1939年(昭和14年)6月11日生まれ
1959年(昭和34年)和歌山県立熊野高校卒業
1964年(昭和39年)立命館大学経済学部卒業


71歳でデビューした肺気腫の歌手・伊藤忠(いとう ただし)


※お問い合わせ                             

TEL: 0725-26-2000
大阪府和泉市寺田町1-7-20
>> 誠-makoto-行政書士事務所
「伊藤忠後援会」事務局  担当(北山) まで





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